モロッコでフランス語を習得ーーフランス・パリ第4大学(ソルボンヌ大学)修士課程留学生インタビュー

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今回の留学経験者インタビューは、フランス政府給費留学生としてパリ第4大学(ソルボンヌ大学)修士課程に在籍しながら、ブログ「パリノメモ」の運用をはじめ、フリーで執筆、翻訳、通訳、コンサル業などを行うジュロウさん。日韓ハーフとして生まれ、幼い頃から韓国と日本を行き来し、ワーホリ〜語学留学の経験を経て、現在に至るまでのお話を2回に分けてお伝えします。第1回目の本記事では、フランス留学前までの経緯についてご紹介します。

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中学2年の夏休みに行ったハワイへの語学留学で海外に興味を持った

ハワイのイメージ

ーー まずは自己紹介をお願いします。

ジュロウと申します。1992年生まれの日韓ハーフで、現在はフランスのソルボンヌ大学修士課程に在籍しております。フランス留学、旅行、移住、起業に関する情報発信を行うブログ「パリノメモ」を運営したり、フリーで執筆、翻訳、通訳、コンサル業などを行っております。

ーーブログのプロフィールページを拝見すると、これまでの経歴が見られるのですが、最初の海外経験は韓国なのですか?

元々幼稚園くらいの頃にも韓国に住んでいたことがあったのですが、自分が物心が付いて覚えている限りでは小学校2年生から4年生の途中まで韓国に行き、4年生の途中から5年生までは日本、6年生から中学1年生まで再び韓国へ行きました。

ーー 幼少期に何度も日韓を転校されて勉強などに支障はなかったのですか?

そうですね。実は大人になってから同じような境遇の帰国子女の仲間から話を聞いたところ「日本語が分からなくて授業についていくのが大変だった」とか、いろんな苦労話を聞いたのですが、自分に関しては、韓国に住んでいるときも親から日本の国語と算数のドリルを家でやらされていたので、日本に戻っても違和感なく授業に入って行けました。

なので勉強に関する苦労は特になかったのですが、小学校低学年のときの韓国の小学校生活は大変でした。当時、韓国の地方の学校に入学したのですが、日本人が全くいないような田舎で「日本人が来た!」って学校中が大騒ぎになって。

休み時間になると高学年の子たちが教室までやってきて、校舎の裏まで連れて行かされて「日本語喋ってみろよ?」とか、軽いイジメが始まるんですね。

韓国は儒教の国で先輩が強い力を持っているのですが、まさか、こんなところでそんな儒教文化の側面について身をもって学ぶなんで思ってもいなかったです(笑)。

ーー それは大変でしたね…。そういった韓国での経験を経て、中学生のときにハワイに住んでいる親戚をたよりに、ホノルルに2ヶ月間の語学留学をされるのですね?

親からの提案で、中学2年の夏休み期間を利用し、親戚の叔母の家に居候させてもらいながら現地の語学学校へ通いました。この留学を通じて、それまで英語が全くわからない状態だったのが、英語のロジックをある程度理解することができるようになって、帰国後の英語の成績がググっとアップしました。

あと、この留学が自分にとって初めての欧米圏の外国体験で、常夏のビーチでサーフィンをしている外国の人々やトロピカルなハワイの雰囲気を目の当たりにしたり、本物の銃を触らせてもらったりしてカルチャーショックを受けたのと同時に、将来的に海外関係に携われる何かがしたいと思うようになりました。

その後、高校3年から大学時代にかけて休み期間を使ってバックパッカー旅行をするようになりました。旅行では中国、台湾、タイ、ラオス、インド、アメリカ(アラスカ)、トルコ、ブルガリア、イギリスに行きました。

オーストラリアへのワーホリは3ヶ月で十分だと思った

オーストラリア滞在中のジュロウ

(↑オーストラリア滞在中のジュロウさん(右から2番目))

ーー さまざまな国に行かれているのですね。旅行とは別に、大学を1年休学して、オーストラリアへのワーキングホリデー、モロッコへの語学留学、フランスへのワイナリー研修へと続くわけですが、その経緯を教えてください。

最終的にフランスでワイナリーの研修に行きたいと思っていたんですよ。ただ、お金を稼がないといけなかったし、フランス語も勉強してからじゃないと厳しいと思ったので、逆算してこのコースにしました。

お金を稼ぐのは日本でもできたのですが、異文化で挑戦した方が得るものがあると思ったのと、オーストラリアは稼げると聞いていたので、ワーキングホリデーを使って行くことにしました。

ーー オーストラリアでのワーキングホリデーについては3ヶ月でしたが、3ヶ月でやめた理由がブログに書いてありますね。

理由についてはブログ書いてある通りなのですが、オーストラリアは楽しすぎるのと、カジノで軽く負けまして(笑)。

ちょうど滞在期間中に、本気でカジノを生業にしているプロの韓国人ギャンブラーに出会って、あまりにも稼いでるものだからこっそりとコツを教えてもらったんですよ。それで最初は少し勝てたんですが、素人がそう簡単に続くわけはなく…。

結局、最終的には持ち金を全てスってしまい、そこから心を入れ替えてまじめに働いてお金を稼いだのですが、ここで中途半端な成功体験がなくて本当によかったと思います(笑)。

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モロッコはフランス語初心者の自分には最適の学習環境だった

モロッコ、エッサウィラのジュロウさん

(↑モロッコ・エッサウィラにて)

ーー その後、フランス語留学の地にモロッコを選んだのは何故ですか?

経緯についてはブログにも書いていますが、モロッコは生活費も授業料もとにかく安かったのが一番の理由です。

モロッコはアラビア語とベルベル語が公用語なのですが、元々フランス領だったこともあり、フランス語が第二言語で、街中のサインにもフランス語が併記してあったりして、街でもフランス語がよく通じるんですね。

現地の語学学校に通う学生は現地のモロッコ人しかいなくて、下から2番目のクラスに入ったのにも関わらず、基本的にみんなフランス語がペラペラなんですよ。しかもみんな中高生くらいのティーンエイジャーばかり。異国の地でモロッコ人の子供たちに囲まれた学校生活はなかなかハードな体験になりました。

さらに、こちらもブログに書いてありますが、一ヶ月間のラマダン(断食)も体験しまして。これがまた想像以上に大変なものでしたね。ラマダンはもう2度としません!

ーー モロッコではハードな体験の連続だったのですね。

実はブログには書いていないのですが、語学学校に通っていたのはマラケシュという街で、語学学校終了後にエッサウィラという港町にしばらく滞在していたんですよ。ここが非常に素晴らしかったです。

海沿いの街なので涼しくて過ごしやすいのと、港町だから新鮮な魚が安く手に入るんですね。カツオ1匹400円とか、イワシ1匹10円とか。毎日魚を買い込んで、板前の如く魚を捌きまくって、朝から山盛りの刺身を食べたりしていましたよ(笑)。

ーー 朝から刺身!いいですねー。実際にモロッコ留学の体験を経て語学力はアップしましたか?

そうですね。モロッコでの経験を経てフランス語のスキルが一気に上がりました。個人的にモロッコはフランス語初心者がフランス語を学ぶには最適の街だと思っています。

街に出れば怪しい男が声をかけてきて「ガイドしてやったから金を払え!」と言ってきたり、買い物をするのにいちいち交渉しなくてはいけなかったりと何かと大変なのですが、それが実践的なフランス語のレッスンなるのと、海外で生き抜いていくタフさを身につける良い修行になりましたので。

もちろん治安は良くないので、万人にはおすすめできないですけどね。特に女性とか。

編集部コメント

今回はジュロウさんの生い立ち〜大学時代に経験したモロッコ留学までのお話をお聞きしました。中学生の頃のハワイの語学留学体験から、着実に海外に向けて一歩ずつステップアップしている様子が伝わってきますね。

次回はモロッコの後に訪問したフランスでのワイナリー研修体験から、フランス政府給費留学生としてソルボンヌ大学修士課程に入学したお話、ブログや現在行っているビジネスなどについてのお話をお届けします。

インタビュアー

内田隆(うちだたかし) / THE RYUGAKU編集長

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THE RYUGAKU [ザ・留学] 編集部です。留学コニュニティサイト『アブログ』も運営しています。

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