タイのプミポン国王が崩御。プミポン国王はタイ国民にとってどの様な存在であったのか?

11220

View

スポンサーリンク

IAEA Imagebank

タイは王国制度であり、遥か昔にタイを統治したラーマ1世がタイ(当時のシャム王国)の国王として君臨し、今現在まで継承されています。

2016年10月13日の現地時間15:52分にバンコク市内のシリラート病院で、現国王ラマ9世ことプミポン国王が崩御されました。これにより国中に衝撃が走り、タイ国民にとって歴史的で大変悲しい出来事になりました。そして一夜明けた10月14日にプミポン国王の御遺体がワット・プラケオに移送されました。

タイ国民にとって父と呼ばれるプミポン国王とは一体どの様な存在なのでしょうか。

スポンサーリンク

タイにとっての歴史的な日。プミポン国王の崩御

悲しみに暮れるタイ国民
@Kapookdotcom

2016年の10月13日の19時、プラユット首相よりタイ全土に一斉に伝えられたプミポン国王の崩御。多くの国民が悲しみ涙を流し、この歴史的な瞬間を迎えることになりました。

これにより、プラユット首相からは全てのタイ国民に対して30日の期間を喪に服すこと(政府関係機関は1年間)、エンターテイメント系の娯楽は控え、デパートや飲食店などでも音楽などをかけないようにすること、SNSなどでプミポン国王の写真やそれに対して悲観的・否定的なコメントを禁止すること、また写真を使用する場合もお元気であった頃の姿を使用するなど、全部で8つの事項について正式に発表しており、2016年10月現在から、いつまで続けるのかということについては発表はされていません。

殆どの人々が黒い服装に身を包み、ユニフォームがある会社では黒のリボンが支給されたりして、自主的に喪に服すように努めます。これらは外国人であっても同じことが適用されますので、タイでも暫くは静かな日々が続くことになります。

クラブのような音楽やお酒を提供するお店は極力自粛する必要がありますし、少なくとも年内はコンサートやビアガーデンのような大きなイベントも中止することになるでしょう。2016年のタイでは静かな年末になるのではないでしょうか。

兄の不幸から18歳で王位継承

若かりし頃のプミポン国王
@Kapookdotcom

プミポン国王は1927年にアメリカのマサチューセッツ生まれで、幼少期からスイスで過ごされています。

スイスではローザンヌ大学に修学していましたが、その在学中に兄が突然の事故で亡くなり、そのままラマ9世として18歳で即位することになりました。その後、学位を終了してタイへ戻ってからはさまざまなプロジェクトを王室主導のもと立ち上げていき、タイの発展と貧困撲滅に努めてこられました。

世界にある王室の中で最も長く国を治めたプミポン国王。長いタイの歴史の中で、現在までタイ王国を大きく発展させ安定させた国王として、全ての国民から絶大な信頼と敬意を払われ愛されている王様です。今のタイがあるのはまさにプミポン国王のおかげであると言えます。

スポンサーリンク

プミポン国王がタイ国民から愛される理由

国民の声に耳を傾けるプミポン国王
@Kapookdotcom

プミポン国王は真面目な人柄で、写真やジャズ演奏など多趣味であった一方、非常に質素な生活を好まれる人物として有名でした。物をとても大切にする方であり、靴もボロボロで修理ができなくなるまで使い続けたり、若い頃は自身で車の運転をして地方を回っていたと言われています。なぜなら、そうしなければ国民がどんなことで困っているのか、本当に起こっていることを感じられないと考えられていたからです。

そのため、プミポン国王は当時、ほとんどが獣道の田舎であったタイをひたすら自身の足で回ってこられました。綺麗な水がなければ人は生きていけないと仰り、その水をどうやって引いてくるか、電気がなければどうやってそこまで届くようにするか、とにかく自分自身で指揮を取り、タイの発展とタイ国民のために尽くしてきた「本物」の国王でした。

ときには農民と同じ目線になるように座り、具合の悪い老人を自身の車に乗せたりと常に国民のことを考えて熱心に働かれる人物でした。また語学も堪能であり、英語やフランス語などのさまざまな語学を非常に流暢に話しておられました。

そんな姿を見て育ってきたタイ国民たちはプミポン国王をタイの父と呼び尊敬し、今日までタイで絶対的な存在として愛されていました。

プミポン国王は近年、体調を崩していたため、公務や表に出られることも少なくなりました。そしてプミポン国王が亡くなる直前には、回復を祈ってシリラート病院に駆けつけるタイ人が大勢集まりました。バイクタクシーなどの運転手たちの中には乗客の行き先がシリラート病院ならば、お代は要らないから!と言って無償で病院まで走ってくれる運転手が大勢いたそうです。

そんなエピソードからもタイ国民がプミポン国王のことをどれだけ想っているかが良く分かります。

日本の天皇陛下との共通点

軒先に飾られたタイ国旗
@rungrot

プミポン国王は日本の皇室とも交流が深く、カメラや車も日本製を好んでおられました。さらに日本の皇室から食用魚を贈呈されタイで養殖に成功したのは有名な話です。

そしてプミポン国王の誕生日は12月5日。この日はタイの父の日と呼ばれる祝日になり、国王の誕生日を祝うと同時に自身の父親にも感謝の気持ちを伝える日でもあります。さらに日本の天皇の誕生日は12月23日でこちらも祝日になります。そのため、毎年12月にはプミポン国王と日本天皇の生誕を祝う交流会がバンコクの在タイ日本大使館により毎年催されていました。

まとめ

これまで全ての国民に尊敬され愛されてきたプミポン国王。今回の出来事はタイはもちろん世界にとっても歴史的な出来事です。もしもプミポン国王がタイを治めていなければ現在のタイは存在しなかったでしょう。

プミポン国王が築いてくださった国をこの先も協力し合い末長く繁栄させることが、これからのタイ国民にとって今一番大切にしていかなければならないことではないのでしょうか。

スポンサーリンク

この記事に関するキーワード

  • まとめ
  • プミポン国王

この記事を書いた人

Namyam
Namyam

タイ在住。タイの南部からバンコクに引っ越してきました。お寺巡りとプラクルアン集めが趣味。休暇はタイの南の島でシュノーケリングするのがお決まりの過ごし方。

留学希望者におすすめ各国の留学情報を徹底解説!