ITの発達によって重視される海外生活での「体験」とは?
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IT技術の発達で国境を越えてより簡単に膨大な情報が入ってくるようになった現代社会では、留学の意義は薄れているのでしょうか。私はなぜ海外生活を続けているのか、留学を重視するしないの境界線はどこにあるのか。それは「体験」かもしれません。
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海外生活に於けるインターネットサービスの恩恵
海外で生活をすれば当然なのですが、日本の音楽、本、テレビ番組などのメディアとは距離が空いていしまいます。私は対策として近年、このようにしておりました。
日本食
私の住むデトロイト近郊で日本食は十分手に入る。特に努力工夫の必要なし。
日本の音楽
iTunes Japanでは日本のクレジットカードしか受け付けてくれないので、米国のクレジットカードだけを所有する私は日本に帰る度にiTunesギフトカードを購入していた。しかし年々おっさん化するにつれ、日本の音楽を聴かなくなったので、この不便性は自然解消気味。
日本の新聞
日本に住む両親が朝日新聞を購読しているゆえ、朝日デジタル版についでに加入してもらっている。米国滞在が長くなるにつれ日本のニュースの重要性が薄れているゆえ、ネット配信で十分。合わせて会社では日経とThe Wall Street Journalを購読している。
日本のテレビ番組
主にYouTubeで視聴。デトロイト近郊ではTV Japanというケーブル放送も視聴可能だが、高額ゆえに私は加入していない。また、日本のテレビ番組をダラダラ鑑賞する時間は私にはないゆえに、YouTubeが最適。また音楽同様、日本のテレビ番組への関心も薄れてきた。
日本の書籍
これが最大の課題。デトロイト近郊には日系書店が存在しないゆえ、Amazon Japanで私が購入した書籍を私の両親宅に郵送。両親がまとめてSAL便で米国に転送している。シカゴ近郊には日経書店が存在するが高額かつセレクションが限られる。
最近は電子書籍も一般化しつつあるのですが、iPadで読む書籍は私には馴染まず、また読みたい本が必ずしも電子化されているとは限りません。電子書籍は「中古」という概念はなく価格は一定ですが、中古書籍の価格の安さはSAL便代を考慮しても、捨てがたい魅力があります。
先日、日本でAmazon Primeが始まったとの記事を見ました。アメリカではすでに私はAmazon Primeの会員でして、音楽とStreaming Videoが視聴でき、Two Business Daysで配送してくれるなど、便利さは際立っております。日本のAmazon Primeに加入するメリットはあまりありませんが、一ヶ月無料でしたので、試しに加入してみました。
驚いたことにIPアドレスの制約を受けずに、楽曲を視聴することができました。通常、日本のサービスを利用すると支払いのクレジットカードを日本の銀行発行のクレジットカードを要求されることが多いのですが、Amazonゆえに米国のカードをドル建て払いで設定できるのも驚きでした(ただし動画は視聴できませんでした)。
2000年代以前に比べて進んだIT化の波
私が渡米してきた1999年当時と比較して、現在ではIT技術の発達は国境を超えて、さらに膨大な情報を届けてくれることは間違いありません。90年台の後半は会話となると、両親と国際電話しか方法がありませんでしたが、それでもネット技術の活用によって、国際電話料金が格安になっていったことに狂喜したものです。
それが現在ではFacetimeやSkypeを使うことによって、無料で相手の顔を見ながら会話ができますし、iMessageを使えばメールより簡便に無料でメッセージのやりとりができます。
ITの発達は、国際化を促す。
と考えたいところですが、ちょっと引っかかるところがあるのが本音です。というのも、私は大学時代の友人からこのようにいわれたことがあるからです。
海外に行くメリットとは?
この友人は10年ほど前結婚し、新婚旅行としてイタリアのツアーに参加してまいりました。イタリアでの10日間はたいへん楽しかったそうですが、彼曰く「海外はもういい」とのこと。理由を尋ねてみると「海外に行くメリットがない」とのことです。混乱する私に彼は長いメールを送ってくれました。要約すると、このようになります。
イタリアはたいへん面白いところだったが、住むのと訪ねるのでは違う。またイタリア語の習得の大変さを考えたら、日本にいた方がましだ。また百歩譲って、イタリア語を習得したとしても、日本では使うあてがない。加えて、イタリアの名所史跡を訪ねたとしても、本やテレビ、インターネットで見ることはできる。コストも馬鹿にならない。さらにイタリア料理だったら、東京にもイタリア料理店は山ほどある。海外で生活する苦労を考えたら、日本にいた方がラクでいい。
私は彼の説得力のある答えにただ頷かざるを得ませんでした。
納得してはみたものの、自分自身では海外生活を止めなかったので、きっと心の中では同意していなかったのでしょう。もし彼のいうことに合点がいくのでしたら、さらにIT技術の発達した現在、私はすでに日本に帰っているはずです。ではなぜ、現在でも私は海外で生活をしているのか。
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海外に来ても引きこもってしまう人
近年、私の会社では若い世代の職員を日本からアメリカに研修目的で送り込んでいます。年が若いので好奇心が旺盛かと思いきや、中にはチラホラ海外生活を嫌う人間もおります。
皆が一様に海外生活を好きになるべきとは思ってはいませんが、常につまらなそうな顔をしている若者に「せっかく会社のお金でアメリカに来れたのだから、もっとアメリカを楽しんだら?」とお節介なセリフを言ったことがございます。
返ってきた答えは「楽しんでますよ」。そんな彼は自宅でYouTubeやプレイステーションを楽しんでいるのでした。
私はアメリカではあまり日本人の友人がいないのですが、たまに日本人同士の集まりに出席をすると、日本のテレビ番組、お笑いなどの流行りものの話題ばかりで、私はついていけなかったりします。
会社の命令でアメリカに来ている駐在員なら仕方ないのですが、在米間もないとはいえ、日本を向いてアメリカで生活をしている留学生を見かけたりすると、ちょっと不思議に思ったりもします。
CDが売れなくなった音楽業界で、老舗ミュージシャンである山下達郎が軸足をライブに移して収益を獲得しているという記事を私は読んだことがあります。そこにあるのは、消費者のライブを「体験したい」という価値観。CDでは実感できない生の音楽を求めるニーズに応える姿勢が評価されているのでしょう。
よくよく考えてみると、私は大学時代、飲み屋でいつも同じことを繰り返し話すバイト先の上司、どこかで読んだ本や論文を引用して、説得力のない講義を続ける大学教授にウンザリしておりました。彼らの共通点は何か。やはり自分で経験をして勝ち得た考えではないがゆえに、他人に話しても相手の心に響かないのではないでしょうか。
確かに人生においてすべてを経験することは不可能です。ですが、自分の経験を通じて得た知恵や考えを他人に伝え、学術的に構築していく方がはるかに説得力のある研究といえましょう。そのせいか、研究だけの人生を送ってきた教授より、以前他の職種についていた教授の方が私には授業が面白かった記憶がございます。
海外での「体験」こそが留学の意義
実のところ、学術的な面ではトップ大学に行かない限り、留学はあまり意味のないことかもしれません。
私はWestern Michigan Universityという普通レベルの州立大学の大学院を卒業しました。当時使われた教科書もほとんどすべて邦訳されております。言い換えれば日本でも同様の勉強をすることが可能ということです。ただし、アメリカ人がどのように考え、生活をしているのか、それを学ぶことは日本ではできません。
アメリカの大学教授から難しい質問をされ、英語で答える苦労。アメリカ人の女の子を好きになって、初めてのデートに臨んだはいいが、相手の英語に圧倒され撃沈。アメリカ人の主催するパーティーに参加するも、やりとりされる高速スラング英語に付いていけず、泣く泣く帰る家路。授業についていくのがやっとで、徹夜してテストに臨む日々。こういったことは留学でしか得られない大きな醍醐味です。
私はこれらの屈辱的な経験をしていない留学生を評価しません。なぜなら、留学の真髄はそこにあると考えるからです。だからこそ、私は海外に来てまで、酒やネット、ゲームで時間をつぶす引きこもり型海外居住者にあまり良い顔をしないのです。ネットなどの技術発達は国際化を促す反面、自分の殻に引きこもる壁を構築する二面性があるようです。
以前、研修者の方でご自身の英語に絶対的な自信を持っていらっしゃる方がいらっしゃいました。別にご本人が自分に自信を持っているだけなら私には関係がないのですが、毎日自室でネットを駆使し研究するのがお仕事とはいえ、アメリカ人の友人もいないのに完全に自分がアメリカの生活に適応していると豪語するのには、首をかしげざるを得ませんでした。
最終的に私の友人の主催するコメディショーにお連れし、まったく英語に付いていけないことを実感させ、その考えを修正させました。日本の若者を前に教壇に立たれる立場がゆえに、アメリカに住むだけで英語が完ぺきになるという誤解を振りまいていただきたくないという意図が私にはあったのです。
失敗の「体験」があるからこそ活きることとは?
私がアメリカのコメディであるStand Upをするようになって早一年以上が過ぎようとしています。時折デトロイト近郊のバーやコメディクラブでパフォーマンスをさせていただきますが、一般的にパフォーマーは自身の経験や体験を脚色し、自分のネタにしています。この間、コメディクラブから帰る車中で、私の友人であるBryanがこう言ってきました。
「おまえ、今日のパフォーマンス、めっちゃ目立ってたな。おまえのネタが違うこと、ギャグのセンス、内容、英語の発音すべてが違くて新鮮だったんだよ。観客、爆笑だったぜ!」
その晩のパフォーマンスは私にとって非常に上手くいった夜だったのですが、Bryanは私の作るギャグネタがほかのアメリカ人と違うことをうらやましがります。
実際考えて見ると、アメリカ人男性白人デブキャラ(ごめんなさい)という「コメディアンとしてよくいるタイプ」の彼は他のパフォーマーとは違う個性を作ることに苦労しています。ですが、私は唯一のデトロイト近郊で活動する「日本人」コメディアンということで、キャラづくりに苦労しないのです。
また私はアメリカに来て勘違い、失敗、日本人としてのステレオタイプに嵌められた経験など沢山ありますから、ネタには困りません。要はいかにアメリカ人が好む形に話を仕立て上げて披露するか。より自身の体験を適切な英語表現に当てはめるか。この部分はコメディの授業でインストラクターやクラスメート達に協力してもらい、形にしています。
英語は完璧でなくても笑いは取れ、なおかつ他のアメリカ人を凌駕することもあることをコメディは私に教えてくれています。
まとめ
結局のところ、留学をするしないの最大の分かれ目は、自分での体験を重要視するか否かに係っているように思います。
ITの発達した現在、Google Mapを開けば行ったことない外国の街を歩いているかのような「疑似」体験は可能です。バイオハザードのプレイ中、ゾンビに嚙みつかれて一時の恐怖心を味わっても、傷跡は体には残りません。
ただし留学はそうはいかない。英語に付いていけない恐怖、パーティーで取り残される屈辱、それらを乗り越え現地の友人たちに取り囲まれた際の幸福はバーチャルでは味わえないリアルなものです。
もしあなたがその実体験を重視するのでしたら、留学や海外生活を実行する価値はあるかもしれません。
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この記事を書いた人
初めまして!日本の大学を卒業した後、米国の大学院に留学し漂流し続けること10数年。今年で米国生活16年目になります。お笑い好きの40男が加齢臭を漂わしながら、ミシガン州デトロイト近郊から海外生活と留学の知恵や経験をお届けします。