何故ブラジルには日系人が多い?知っておきたい日系ブラジル人の歴史的背景

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ブラジルには多くの日系ブラジル人が住んでいますが、そもそも何故ブラジルには日系人が多いのでしょうか。ここでは、ブラジルにおける日系人の歴史的背景など、ブラジルに来る前に知っておきたい基本的なことをお伝えします。

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ブラジルで日本人の移民を受け入れた背景

1888年、ブラジルでは奴隷制度が廃止となりました。これに伴い、それまで労働力とされてきたアフリカ系移民に変わる新たな労働力が必要となったため、1892年、ブラジル政府は日本人移民の受け入れを表明しました。

時を同じくして、日本では日露戦争以後に起こった経済混乱のため、農村の貧困化が進み、国民を移民として送り出すことになったのです。

そして、1908年(明治41年)4月28日、ブラジルへの移住を決めた契約移民781名を乗せた笠戸丸が神戸港から出発しました。

1ヶ月半もの間、ここから船酔いと暑さの中で船に揺られ、6月18日の早朝ブラジルのサントス港に入港しました。ちなみに、この6月18日はブラジルでは「日本移民の日」とされて、さまざまな記念行事が開催されます。

その後、以降の約100年間で13万人もの日本人がブラジルに移住し、現在では約160万人の日系人(2世、3世を含む)が住んでいると言われています。

奴隷同然の待遇

奴隷制度は廃止されたものの、はるばる地球の裏側からやってきた多くの日本移民たちは、農場主達から奴隷のような扱いを受けてきました。

与えられた土地は荒れ果て、そのままではとても鍬を入れることなどできないような土地でした。そして住まいとして使う建物はさらにひどく、壁や床の隙間から蛇やネズミなどが侵入してくる始末でした。

農場主達からもらう賃金はごくわずかで、コーヒーを収穫するときに使う軍手なども買うことができずに、素手で作業を行っていたため、手のひらはボロボロの血だらけになるのです。

休憩もろくに取れず、仏壇にに手を合わせるときも、食事をしながら同時に子供に授乳もしていたそうです。

日本へ帰るための貯金をすることはおろか、借金ばかりが膨らみました。そのため与えられた農地を捨てて夜逃げをする人が後を絶ちませんでした。

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ブラジルの農業発展に貢献

コーヒーやサトウキビなどの大農場から夜逃げしてきた日本人の多くは、その行く先々で自ら農地を開拓し、自分たちが農場主へとなっていきました。そして、1919年にはブラジルで初めての農業組合が生まれました。このとき、日系移民の多くはサンパウロやパラナ州などに集まっていました。

これをきっかけにブラジル全土で多くの農業組合が誕生し、今の農業大国ブラジルの繁栄に大きな功績を残しました。

まとめ

いかがでしたか?ここまで日系ブラジル人たちの歴史や経緯についてご紹介してきました。これからブラジルに来られる方は、このような歴史的な背景を頭に入れておくことで、現地でのコミュニケーションなどに役立つでしょう。

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