英語の上達と日本語の特徴は関係している!日本人が英語を話せるようになる方法とは?
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アメリカに来て17年になりますが、その間、数多くの方にお会いしてきました。私より英語が流暢な方もいらっしゃれば、私より在米経験が長いのに、まるで昨日渡米してきたかのような印象を与える方もいらっしゃいます。英語力の上達度は個人によってバラバで、米国に来たからといって一様に皆上達するとは言えないようです。その中でも特に苦労されているのが、必死に英語を勉強しているのに、英語がいつまで経ってもうまくならない方でしょう。そんな方たちはちょっとした傾向があるのです。
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英語がうまくならない「Shy」な人の特徴
アメリカに長い間滞在したり、留学をされたりしている日本人の中で、全然英語がうまくならない人は一般的に「Shy」と形容されることが多いようです。確かに、人前でしゃべったり、見知らぬ人の多いパーティーの中で友達を作っていくには、英語力以外に勇気が必要だったりします。外国語である英語が発展途上中の間は間違いは避けられませんし、細かい間違いを気にしていたら、しゃべれなくなってしまうのもまた事実です。
でも、英単語を憶えたり、英語の文章を書いたり読んだりすることにShynessは関係がないはずです。往々に英語力がない人は、英単語のボキャブラリーが不足しているのも、人前でしゃべることがないがゆえに、語彙を必要とされることがないから知らないのか、その真相は混沌としているのが現状です。
日本語の自称詞と対称詞
私は大学時代、外国人に日本語を教えるための基礎講座である「日本語教育法」という授業を受講したことがございます。当時、すでに留学を目標としていた私は、言語というものに大変興味があったので受講しました。その際、担当教授が日本語の「私」などの自称詞と「あなた」に代表される対称詞がコロコロと変化することを指摘しておりました。例えば、家族の中で両親を呼ぶ際、お父さん、お母さんは一般的ですが、それ以外にも呼び方があるはずです。
これらの呼称はおそらく個々の家庭によって違い、私は大学時代の恩師の御宅におじゃました際、ご令嬢が恩師を下の名前で「○○君」と読んでいたことに驚愕したことがございます。これがまた、夫婦間の呼び名になると、「お父さん」「お母さん」はよくありますが、下の名前で呼ぶということはあまりありません。おそらく読者の方々も自分のご家庭で使われている呼称を書き出してみると、驚くほど状況によって多様性に富むことに驚かれると思います。
アメリカの家庭だとどうでしょうか。一般的に、父親はFatherで母親はMotherです。夫婦間ではFirst Nameで呼び合うことが一般的ですし、親子喧嘩したときに子供が言う「I hate you」では対称詞がyouであり、日本語では子供から親に対し「あなた」呼ばわりすることがないこととは好対照です。またアメリカで父親が「Son」と自分の息子を呼んだ際は、非常に愛情に富んだ表現でして、映画『レヴェナント:蘇えりし者』でレオナルド・ディカプリオ演じる主人公が、自分の息子を「My Son」と何度も呼んでいたのはこの理由によるものです。
この事象を言語学者の鈴木孝夫が著書『ことばと文化』で更に突き詰めています。鈴木氏いわく、日本語の自称詞及び対称詞は、対話の場における話し手と相手の具体的な役割を明示し確認するという機能を強く持っていると指摘しています。考えてみると、実にその通りでして、日本人は話している相手の社会的地位、人間関係、性別などによって頻繁に呼称を変えます。
私は会議などで日本人上司とアメリカ人の職員の門前で英語で話すことを嫌います。なぜなら、英語では”You”という対称詞を使わなければいけないことが多いのですが、日本語では部下から上司に対して使える対称詞は、存在しないからです。
また鈴木氏はラテン語や英語では、自称詞や対称詞は話し相手や聞き手が持っている性質(性別、社会的地位、年齢など)は関係がなく、あくまで対話の中で、能動的行為者と受動的行為者を指す機能のみを有しているとしています。
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日本人の傾向
鈴木氏は日本人の面白い傾向を指摘しています。お互いに相容れない、場合によっては反対の行動を私たちに要求するような、異なった資格を持つ二人以上の相手と、同時に交渉を持つことを非常に嫌うと述べています。鈴木氏は、アメリカの大学で同僚の授業を聴講する大学教授の例を挙げていますが、私もアメリカの大学で同様の光景を目にして驚愕した憶えがございます。日本でだったらまず実現しない光景ではないでしょうか。アメリカでは同じ同僚といえども、自分の授業に参加したからには、教師と生徒という関係が成り立ち、授業の外では大学教授といえども、他の学生と同じ課題をやらせたります。
しかし、日本ではそうはいかない。大学教授は他の同僚の授業に参加したりはしませんし、第一、自分より年上の学生が授業の中にいたりしても、それを嫌がります。また会社などの公的な場に妻が電話を掛けてきたり、訪ねてくるのを嫌うのも、違う場の人間がその場所にいることを避けたいという心境からなのではないでしょうか。
「日本人の特定の人との対人関係は、二項的で固定的である」とさえ鈴木氏は言い切っています。こうやって考えてみると、素性のしれない人が集う海外のパーティーで日本人が引っ込み思案になってしまう理由もわかってきます。名刺を振りかざしてこないstrangersとは、社会の中での上下関係や距離感が分からず、対人関係を築きにくいのです。同様の指摘を、演出家の鴻上尚史氏も指摘しており、鴻上氏は、日本人は世間の保障がないまま、知らない人とコミュニケーションを取るということがひどく不得手であるといっています。(鴻上尚史『「空気」と「世間」』)
問題の本質
アメリカに来て友だちができなかったり、英語が思うように上達しない日本人は、もしかしたら、母語である日本語の持つ、対話の場での自分と聞き手の具体的な役割を察する特徴に気づかないまま、無意識に相手に自分を理解してもらえることを期待しているのかもしれません。無意識に相手に自分を投影し、相手から自分を理解されることを期待してしまう。そのために必要な意見を述べることを差し控え、相手の出方を待つ。相手が同調することが暗黙の了解となるのです。
こうなると、お決まりの英語教育での、自分の意見の確立…という結論になるのですが、私はそうは思いません。なぜなら、私の世代では教育の場で自分の意見を述べる訓練を受けておりません。その世代の人間が若い世代に自分の意見の確立を求めるのは、「自分ができなかったから」という理由だけではあまりに理不尽です。また、自分の意見を言ってきた若い世代に怒りを表しているのは、私より上の世代の人間です。意見をいわれるのを嫌う世代の人間が、今の高校生や大学生を教育しているのが現状ですから、おそらく日本人が意見をはっきりいうことに抵抗がなくなるのは、まだまだ先の話だと思います。
まとめ
むしろ現在、留学のために英語を勉強なさっている方は、こういった言語の構造から英語にアプローチをし、現状の英語教育の問題点を頭に入れながら、効率よく学習されていくことの方が賢明で現実的だと思います。それは取りも直さず、海外に渡った際の友人作りの一助になるはずです。健闘をお祈りします。
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この記事を書いた人
初めまして!日本の大学を卒業した後、米国の大学院に留学し漂流し続けること10数年。今年で米国生活16年目になります。お笑い好きの40男が加齢臭を漂わしながら、ミシガン州デトロイト近郊から海外生活と留学の知恵や経験をお届けします。