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「あなたの宗教は何ですか?」日本人の宗教観について
日本人が海外に出て返答に窮する質問のひとつに、「あなたの宗教は何ですか?」という質問が挙げられると思います。日本人の大半の方はそれほど宗教を意識することなく日々の生活をなさっているでしょうし、私の日本人の友人からも宗教に関して話題を振られたことはありません。もし振ってきたら、壺か印鑑でも売られるんじゃないかという危惧から皆、逃げ出すのではないでしょうか。しかし、アメリカではお互いの宗教に関して尋ねることはそれほど珍しいことではありません。この質問への回答を私なりに考えてみました。
日本人は仏教徒?
私は日本の中流家庭で育ち、それほど宗教を意識することなく育ってきました。檀家制度での宗教は確か浄土真宗だったように記憶しております。一階の居間に神棚、二階の和室に仏壇があることをそれほど不思議に思わずに育ってまいりました。
私が初めて自分の宗教に関して尋ねられたのは、1996年のイギリスでのホームステイの時です。ホストマザーから私の宗教を尋ねられ、一応、「仏教」と答えておいたのですが、今ひとつ、しっくりこない回答だなと自分でも心に思っておりました。
なぜ、しっくりこないのか?というと、それは、私は子供の頃に神社の境内でも遊んだ経験があり、親に連れられ神社にお参りに行ったこともあったからです。お寺にお墓がある仏教徒といっても念仏読経写経座禅をしたことはほとんどありませんし、仏教の精神を尋ねられても回答はできませんでした。
かといって、キリスト教と縁がないわけでもなく、クリスマスはサンタクロースからプレゼントを貰える日でした。(ただ、我が家に来るサンタクロースはケチで、なぜかクリスマスという習慣はいつの間にか消滅いたしましたが…。)
加えて、私の父と姉は西洋音楽を専攻しておりました。西洋のクラシック音楽は非常にキリスト教と縁が深いものです。また音楽家にはユダヤ人もたくさんいます。
我が家で存在感のないメジャーな宗教は、実にイスラム教だけという環境に自分でも混乱をしていたのです。
説得力のない模範解答
私は様々な宗教に関する本を読んでみて、「宗教は何か?」という質問へのいくつか解答例を発見しました。
例えば、『 常識として知っておきたい世界の三大宗教──歴史、神、教義……その違いが手にとるようにわかる本 』は、「宗教は何か?」と聞かれたら、まず仏教徒と回答し、もし仏教の基本精神について尋ねられたら、「三法印」と呼ばれる仏教の基本原理について答えよとアドバイスをしています。
三法印とは、
1.諸行無常:すべてのものは変化しつづけており、常なるものは存在しない
2.諸法無我:すべてのものは「因縁」により生じたもので実体はないこと
3.涅槃寂静:煩悩を滅した悟りの境地「涅槃(ねはん)」は安らかである
だそうですが、正直、私はこれらの漢字を書くこともできません。
一時期は、これらの言葉を適当な英語に訳して宗教の質問に答えることで、その場を逃れておりましたが、自分が仏教の基本精神を理解しているわけではなく、自分の生活からにじみ出た言葉でもないことは分かっておりました。
ゆえにこの回答は自分で話していても説得力がなく、自然に口から出てこなくなったのを憶えております。
日本人は無宗教?
親しいアメリカ人の友人には、「I am not really religious」と回答をすることもできます。無宗教というと怪訝な顔をされるという懸念がありますが、最近ではアメリカでも自分のことを「Atheist(無神論者)」と自称する人が増えてきましたから、この答えでも問題ないかもしれません。
ですが、本当に私たちは「宗教的ではない」のでしょうか?仏教徒ではなく無宗教と答えることが正しい回答なのか、自分で納得がいきません。
私はアメリカの大学院で マックス・ウェーバー について学んだのですが、彼はプロテスタントの持つ倫理観が、資本主義経済の成立を促したという考えに至った革新的な社会学者です。
これは日本人にとってはちょっとした驚きかもしれません。宗教の倫理観が経済活動を促すということですから、何か強烈な信仰を持った人たちが経済を支えているということになります。
「じゃあ、日本人はどうなるんだ?日本人でキリスト教徒なんてあんまりいないし、日本が経済発展したのをどう説明するのか。大半の連中が無宗教と思っているではないか・・・」
私はここまで考えた時、日本人が本当に無宗教なのか、ちょっと疑問に思い始めました。
宗教=行動様式
宗教の定義は非常に難しく、前述のマックス・ウェーバーは、宗教とは「Ethic」であるといっております。つまり、「行動様式」です(ちなみに”s”をつけると「Ethics=倫理」という意味になります)。
べつに「宗教=神様への信仰」ではありません。その証拠に仏教に神はおりませんから。人間が意識的にせよ、無意識的にせよ、取る行動のことを「行動様式」いうのですが、別に良い悪いは関係ありません。
朝の出勤時刻に遅れないようにすることも一種の行動様式ですから、大半の日本人はなんらかの規範に沿って生きているのではないか。周囲を気遣い、自分だけ有休を取って休まないことも行動様式です。
私はアメリカに住むようになってから、「おまえは日本人じゃない!(※)」と怒鳴りつけられたり 、場の倫理に縛られることによって、日本人は一種の「行動様式」をに沿って生活をしているのではないかと考え始めました。
私の行動様式はどこから来るのか?
ここでまた、混乱です。宗教が行動様式なら、私の行動様式は何でしょうか?経を読まない座禅をしない仏教徒であり、八百万の神を祀る神社で遊びながらもファッショナブルな部分のキリスト教の雰囲気もやってみたい「場の空気を読まなきゃKY教」の行動様式なのでしょうか?
別にアメリカ人の大半が日本のことなんか知らないんだから適当に答えておけばいいじゃん、と考えることもできますが、私のような日本人の回りには日本の文化、社会を真剣に学びたいと考えているアメリカ人が寄ってくるものです。彼らに対して責任ある答えをするためにも、どう回答したらいいのか、真剣に考え始めました。
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日本人の宗教は「日本教」
可能性のひとつとして考えられるのは、私達の行動様式にちゃんとした名前がついていないことが考えられます。このことを評論家の山本七平氏は著書『 勤勉の哲学 』であえて「日本教」と名前をつけて呼んでおります。
確かに、日本人は勤勉でして、私の会社でもアメリカ人はよく遅刻をしますが、日本人はみな定時に席に座っております。
また、アメリカの日系会社で非常によくある話しですが、日本人の上司は日本人が部下になると、アメリカ人とは違うスタンダートで接するようです。日本人職員が昼食の時間から1分でも遅れて戻ってくると怒鳴るのも、日本人の勤勉の倫理に反していると考えているに違いありません。
二言目に日本人には「日本人なんだから」という言葉を押し付けてくるのも、何らかの行動様式を日本人に求めている証左でしょう(ただし、日本人だから怒鳴っていいというのは、アメリカでは人種差別に当たるので、本来ではやってはいけないことです)。
経典がない日本教
またこの日本教、困ったことに名前もしっかりないくせに、経典もないことが問題です。
イスラム教では、「サラート」と呼ばれる礼拝を一日、五回やらなければいけないと決められており、宗派によって細かく異なるとはいえ、時刻も動作も、唱える言葉も細かく決まっているそうです。
イスラム教のように生活に根ざした宗教だったら行動様式もわかりやすいのですが、日本教の場合、教義がはっきり書かれているわけではないので、私たち日本人でも何が行動規範なのか、ハッキリしないのではないでしょうか。
特にアメリカナイズした留学生が年上の留学生に会釈せずに握手を求めたり、日本に帰って積極的に授業で発言をしたりすると、「日本人らしくない」と捉えられる原因もここにありそうです。
高コンテキスト文化が吸収する行動様式
コミュニケーション学の用語に、「 コンテキスト文化 」という言葉があります。情報の伝達の際に、意味が非言語の要素が強くても伝わる文化(高コンテキスト)と、言葉に表して伝える文化(低コンテキスト)の2つを指すのですが、日本は高コンテキストの例として頻繁に引き合いに出されます。
臨床心理学者の河合隼雄氏も自身の体験から、カウンセリングの最中、日本人は言語外でやり取りされる非言語の要素を汲み取ることが上手だと盛んに著書に書いておられますが、それもそのはず、日本文化は高コンテキストなので、一般的に日本人は言語外の要素を汲み取ることが上手なのです。
この高コンテキスト文化の中で培われた日本の行動様式、日本教の中に日本ナイズされた仏教、日本古来の神道が溶け込み、ちょこっとキリスト教のオシャレな部分を真似してみたいというのが、現実的な大多数の日本人の宗教観なのではないでしょうか。
高コンテキストゆえに非言語的で、経典があるわけでもないのですが、なんとなく同じような行動様式は共有され、寺院や教会はなくても、毎日通う「会社」で行動様式は礼拝され、次の世代に引き継がれていく。良い会社に入社することを目指す布教活動は学校でも教育として行われています。
そして矛盾する他の宗教からの思想は衝突せず、不思議と日本という器に収まっていくのではないでしょうか。
実際、小室直樹氏は著書『 日本人のための宗教原論―あなたを宗教はどう助けてくれるのか 』で、戦後の山本七平氏の体験を引き合いに出しています。
ご存知のように、アメリカでは進化論を否定するファンダメンタリズムという考えがあります。戦後、「日本人は、天皇は太陽の女神の直系の子孫と信じているから、進化論は信じていないだろう」と思いこんだアメリカ軍将校は進化論を日本人に教え込もうとした際、「日本人はもう進化論を知っている」と回答されたことに大変な衝撃を見せたそうです。
十数年ほど前、時の森喜朗首相が、「神の国発言」をして大きな批判を浴びましたが、太平洋戦争中だったら別に問題視されなかったでしょう。ですが、政教分離を原則とする現代の日本では受け入れられませんでした。実はこの「政教分離」の概念はキリスト教が由来だそうです(橋爪大三郎著『 世界がわかる宗教社会学入門 』)。
無宗教的に見えるが、無宗教ではない
実に様々な宗教からの概念が混在する日本は、一見、無宗教的に見えますが、実は確固たる行動様式を持っているといえそうです。この考えには様々な見解、批判があるかと思いますが、現在の私は決して日本人は宗教と無縁とは考えておりません。
様々な宗教からの概念が長い歴史の中で溶け込んだ日本では、高コンテキストゆえに、非言語的で、はっきりどこにも書いてないから無宗教的に見えるだけ、というのが私の見解です。
ここまで考えた時、私ははたと手を打ちました。これをどうやってアメリカ人に説明すべきか?あまりに複雑ですし、日本に行ったことのない人にはほぼ理解不可能でしょう。低コンテキスト文化代表の移民の国アメリカの人間に、こういった非言語の部分を説明することは大変難しいことです。アメリカでは重要なことはすべて書き出されていますから。
会社ではemployee handbookといって会社の規則が書かれた冊子を渡されますし、従業員は規則違反があると上司にemployee handbookを片手に交渉することは珍しいことではありません。「有休を全部使わせてもらえるはずだ、ハンドブックにはこう書いてある」というように直訴してくることも普通です。
おわりに
私は以前から宗教に関して執筆したいと考えておりました。海外に出て宗教を意識しないで生活することはできないからです。今回の記事は人間の行動様式を総括して話す内容ですから、考えに考えて本稿を作成しました。本稿に関してもきっと賛否両論があるかと思います。
私は、「宗教はなに?」という質問に真摯に答えようとして泥沼にハマってしまったのかもしれません。私は周囲の人から、今後宗教について話題を振られないよう、神様に祈っております(笑)。
※『 頑張れニッポン男児!アメリカ人女性とのデートを脅かす「年上の日本人」への対処法【問題解決編】 』にて、「おまえは日本人じゃない!」と怒鳴られたエピソードについてご紹介しています。