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タイの深南部で今も続く、タイ政府と元パタニ王国の紛争とは?

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読者の皆さんは、タイ深南部にあるヤラー県・パッターニー県・ナラティワート県と呼ばれる3つの県をご存知でしょうか。日本の外務省の海外安全ホームページでも、常に「渡航中止勧告」と表示されている地域です。タイ南部には多くのビーチリゾートがあります。その様なエリアは特に危険警告されていないのに、何故この深南部の3県周辺は常に渡航の中止と警告されているのでしょうか?ここでは、タイ深南部がどのような問題を抱えた地域なのかを説明したいと思います。

遥か昔、タイとマレーシアの間には「パタニ王国」があった

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タイは地形上それぞれの国境が中国、ミャンマー、カンボジア、マレーシアと、様々な国に繋がっています。そして今より遡ること数百年前の14世紀頃には、現在のタイ南部のマレーシア国境近辺は「パタニ王国」と呼ばれるマレー人の築いた小さな王国がありました。その名残から現在も「パッターニー県」と言う名前が付けられているのです。

そして18世紀頃にはタイの現王朝 (チャクリー王朝) がパタニ王国と併合しました。しかしその当時から、パタニ王国の人々はタイによる支配に抵抗し、その為に現在に至るまで紛争が続いているのです。

当時のパタニ王国とはどんな国だったのか?

大昔のパタニ王国はヒンドゥー教を信仰するマレー人の王朝でした。その後イスラム教を国教として、17世紀当時は海に面した地形から貿易の拠点として栄えていました。

しかし、タイの現王室であるチャクリー王朝のラーマ1世が即位する頃には、貿易の中心地は華人が支配するソンクラーと言う地域に移り、パタニ王国はすっかり衰退していました。しかしその後も彼らはタイ王国に属する事を拒否し、結果的にタイ軍の遠征により力づくで支配される形となりました。そしてパタニ王国は完全にタイの一部として支配に置かれる事になったのです。

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タイの支配によりタイ文化を強要されたパタニ王国の人々

完全にタイの領土として認められた後にも、元パタニ王国の一部の人々は反乱組織を形成し、独立運動の為に何度もタイ政府と激突しています。政府はタイ化を推進しますが、彼らはマレー語を使い、イスラム教を信仰してタイと同化する事を認めませんでした。その為タイ国籍者でありながらタイでの雇用が困難になり、ますますタイ政府への不満を募らせる事になります。

加えてムスリム (イスラム教徒) が多数を占める中で、モスクよりも仏教寺院の建設が多い事からも不平不満が生じ、双方の宗教問題から「仏教徒 vs イスラム教徒」という構図にもなっています。こうして近年になっても多くの問題が解決しないまま、次第にこの地域はイスラム武装組織やテロ組織、麻薬や人身売買などの犯罪組織の巣窟になっています。そしてタイ警察や軍隊が武装組織と交戦したり、日常的にテロ組織が街に爆弾を仕掛けて無差別に住民を攻撃したりと、事態は深刻な状況のままになっています。

タイ深南部の今後の問題解決に向けて

2014年にはタイで王国国軍によるクーデターが起こり、その後タイは陸軍総司令官のプラユット首相による軍事政権へと変わりました。現在このタイ深南部問題に対してプラユット首相は、今後この地域の全ての武装勢力と話し合いを進め、問題解決に向かう様にしていくという姿勢を示しています。

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まとめ

この様にタイ深南部とは数世紀前までタイとは別の王国があった為に、タイ併合後も独立運動や反発によって紛争が絶えない地域となっています。2016年現在、タイ深南部では表面的には大きな激突が起こってはいません。現政権が和平に向けて話し合いを進めてはいますが、情勢が不安定な地域であることは間違いなく、いつ武装勢力の活動が活発になるかも分かりません。

パタニ王国であった当時から民族・宗教など様々な問題でタイ政府との争いが続き、その度に多くの死傷者を出してきたタイ深南部。たとえ過去にどの様な出来事があったとしても、それは全て過ぎた事に変わりはありません。この先もっと時間をかけて、同じタイの一部としてお互いが尊重・共有していける道を模索し、いつの日かこのタイ深南部から争いが無くなることを願うばかりです。

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