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アメリカ人が曖昧な表現を好まないのは本当なのか?

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アメリカ人ははっきりモノを言うと言われていますが、実際はどうなのでしょうか?今回はこの考え方について言及していきたいと思います。

先日、とある日本のバラエティー番組にて、金八先生役でおなじみの武田鉄也が、悩み相談のゲストとして出演していたアメリカ人タレントのカイヤに向かって、 アメリカ と日本の国旗を例に出して、両国の 国民性 について興味深い発言をしたシーンを目にしました。

「日本人の住んでいる世界って、月なんですよ。月の世界なんですよ。カイヤさんの住んでいらっしゃるアメリカは、太陽が好きなんですよね。国旗と逆さまなんですよね。そちらは星の国だけど太陽を好んで、私たちは日の丸の国だけど、月を好むんですよね。」

なるほど、これは非常にうまい例えだと思わず唸ってしまいました。つまり、日本人はどちらかというと、コミュニケーションをする際に、月や星のように夜空にぼんやり浮かぶような「曖昧さ」を好み、その反対に、アメリカ人ははっきりと空に浮かぶ太陽のように、コミュニケーションにおいて「明確さ」を好む傾向があるのではということが言いたかったのだと思います。

こうした 日米間における国民性の違い は、ステレオタイプの一例としてよくあげられるかと思いますが、実際のところはどうなのか、筆者がアメリカ生活16年の中で体験した実際のエピソードを交えながら考えてみたいと思います。

人の誘いにはっきり答えることは「思いやり」につながる?

flickr

学生時代の話になりますが、ある日、アメリカ人の友人に、「放課後一緒に映画を見に行こうよ!」と誘われたことがありました。ちょうどその日は別の用事があったのですが、せっかく友人が誘ってくれたのにその誘いをすぐに断るのは申し訳ないと思い、ついつい日本人的な「曖昧な」返事をしてしまったというエピソードがあります。

当時、筆者は、あえて「ノー」とはっきり答えずに、返事を曖昧にすることこそが、相手を傷つけずにすむ一番いい方法だと信じていましたが、アメリカ人にとっては、 イエスかノーではっきり答えること こそが、相手への「思いやり」として認識されるということに気付かされました。

英語が曖昧に聞こえないのは、「語順」が関係しているのでは?

こちらも学生時代の話になりますが、アメリカ人が明確さを好む国民性であるとよく言われるのは、 英語 の語順と関係しているのではないかということに気づかされた出来事がありました。それは、ESLの授業の時に言語学を専門とするアメリカ人の先生が英語の作文を返却した際に言ったコメントでした。

「言語によっては、大事な結論を最後に持ってくるという書き方が好まれるようですが、英語は違います。必ず先に大事な結論、または自分の意見を述べてから、細かく理由を述べていくという書き方をします。」

確かに、例えば、お腹が空いて寿司が食べたいと思った時、英語だと、文の中で一番大事な「食べたい=I want to eat」という部分が先にくるのに対して、 その一方で、日本語だと、「寿司」が先に来て、「食べたい」という文の一番大事な部分が最後にきます。この語順の違いが、英語の表現にはあまり曖昧さがないという印象に繋がっているのではないかと感じました。

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「付き合ってください!」というフレーズは英語に存在しない?

さて、ここまで、筆者の実体験をもとに、アメリカ人はあまり曖昧さを好まないというステレオタイプ通りのエピソードをいくつか紹介してきましたが、最後にアメリカ人の「曖昧さ」が垣間見えたと感じたエピソードをいくつか紹介したいと思います。まず一番興味深かったのは、こちらも筆者が学生時代に、当時日本から 短期留学 にやってきた大学生の女の子がアメリカで何回かデートを経験してみた後に SNS に投稿していたこちらのコメントでした。

「アメリカと日本では、付き合う前のデートから恋仲に発展するときのシステムが全く違うことに気づかされました。日本では、「付き合ってください。」、「彼女になってください。」というように、ちゃんと告白があってから正式に付き合いが始まるのが一般的であるに対して、アメリカでは、そういった「告白」みたいなものはなく、デートを何回か重ねているうちに、自然と恋仲になっていると互いが認識していくものなんだと感じました。」

これには思わず同感してしまいました。確かに、英語には、日本語のように、「付き合ってください」という 告白の時に使われる定番のフレーズ と完全一致するようなフレーズがないように感じられます。「To ask someone out」というフレーズもありますが、これは一回きりのデートや食事に誘うという意味としても使われるので、必ずしも「告白」という意味として毎回使われるわけではありません。

「Change!」や「Yes We Can!」は実は曖昧なフレーズだった?

最後に、社会的な観点から、アメリカ人の「曖昧さ」が垣間見えた例を紹介します。2008年のアメリカの大統領選挙演説にて、オバマ大統領が繰り返し使い、人々の心を鷲掴みにした「Change!」や「Yes We Can!」というフレーズを覚えているでしょうか。実はこれらのフレーズは「曖昧さ」を売りにしたフレーズだったのです。

まず、Changeという言葉は、日本語に訳すと、他動詞としての「変える」、もしくは自動詞としての「変わる」といったようにどちらにでも解釈することができます。オバマ政権がこれから直接何かを変えていくのか、それともオバマ政権によってこれから何かが自然と変わっていくのか、この辺が曖昧であったとのちに感じたアメリカ国民もいたようです。

次に、「Yes We Can」という言葉も、本来ならば、Canの後に続く、動詞がないと不自然に聞こえてしまうのですが、そこをあえて曖昧にしたままこのフレーズが使われ続けました。もちろん今となっては、こうしたあえて「曖昧さ」を売りにしたフレーズこそが当時のオバマ陣営による大統領選挙で勝利するための戦略であったのではないかと感じる専門家も多いようです。

まとめ

いかがでしたか。「太陽を好む」アメリカ人でも、時に曖昧な部分を見せることもあるようですね。これからのグローバル社会で求められるのは、この曖昧さと明確さをうまくコミュニケーションの中に取り入れた言語スキルかもしれませんね。そのために、留学先で様々な価値観やコミュニケーションスタイルを持った人たちと積極的に関わっていくことはとても重要であると筆者は感じます。

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