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Craig Sunter

外国でこそ大人は若者に耳を傾けるべき

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「やっぱり、いわれるとその場で平気と取り繕っていても、結構傷つくから。」と彼女はうつむきました。ここはデトロイト近郊の小洒落たカフェ。私は若い同僚とランチを食べています。私の会社には何人か若い社員が日本から研修目的で送られてくるのですが、往々にして年上のマネージャーたちの説教の対象になるのを見てきました。ただ、彼女の話を聞いてみると、仕事とは直接関係のない、人格否定的な内容もかなり含まれており、私は少々驚きました。彼女の話を聞きながら、私は若い頃の自分を思い出しておりました。

私の若いころ

私も若いころ、結構大人から怒られてまいりました。今になって考えてみると、なんで怒られたのか腑に落ちない内容も数多くあり、また自分を差し置いて、よくまあ他人にいえるな、と呆れた内容も多々ございました。私個人の考えですが、他人にアドバイスしたがり屋の大人の方は、あまり海外生活や留学に向かないのではないかと思うのです。

なぜなら、留学で最も有利に働く要素のひとつが「若さ」の持つ柔軟性だからです。年齢が若かったら体力がありますから病気にもならずに、ときに徹夜を要求される勉強にも耐えられます。若かったら周囲から愛されることも多く、友達や恋人も作りやすいでしょう。また周囲から救いの手を差し伸べられることも多くあるかもしれません。柔軟性ゆえに、現地の文化を受け入れ、外国語の習得も容易になることが考えられます。

しかし年を取ってくると、徐々に人間は周囲の人間に自分の考えや経験に固執し、それらを他人に押し付けてしまう傾向が出てくるようです。これが非常にマズイ。他人に親切にアドバイスをあげる、価値観を広げてあげるというポジティブな面もありますが、海外生活や留学においては、返って足かせになってしまう場合が多いのではないでしょうか。私は過去にも、「 その留学は本当に”評価されるべき”留学なのか? 」などでも書いてきましたが、幾人もの年上の留学生が自分の価値観を捨てられず、自爆していくのを見てきました。他にも私が聞いた話ではこんなことがありました。

イギリスでのこと

とある日本の大学でイギリスでの英語研修プログラムがあった。その大学では毎年30人程度イギリスに学生を送り、引率として大学教授もついていくのです。その年は、その大学教授も英語の勉強のためにプログラムに参加したのですが、授業に馴染めず、問題を多発。

自分の学生には「ボクは国際人だから」と標榜しつつ、周囲に「Mr.」ではなく、「Professor」と呼ぶよう強制するその人のために、現地のイギリス人英語教師がプレゼンテーションをやらせてみたそうなのですが、結局、他のクラスメートからの反応は惨憺たる結果になりました。「ダラダラと長くて分かりにくい」「何をいってるのか分からない」などと不評で、ついに本人はカフェテリアで号泣。最終的に不登校になってしまいました。

私が考えるに、その方は日本の最高レベルの大学で博士号まで取得された優秀な方でそれゆえに、プライドが非常に高かった。加えて、自分の職種からか他人に口をだすことは大好きであっても、自分が非難されたり評価されることは特に嫌がった。イギリス人の英語教師に自分の発音を矯正された際も、「自分の発音は正しい」と主張したぐらいですから、かなり盲目的な自信です。

また私の勝手な推測ですが、プレゼンテーションも終始、用意したノートだけを棒読みで読み上げるような、日本のスタイルでおこなったのではないでしょうか。実際その教授は10分という枠を超えて30分ほどプレゼンをおこなったようです。

私はアメリカでプレゼンを何回もやったことがあるのでよく分かるのですが、日本では10分のところを30分やったというのは努力の評価対象になりえますが、アメリカではなりません。むしろ、内容がまとまっていない、ポイントが不明、ということでマイナスになり、不評を買うことになるでしょう。

海外では評価をする人間が日本とは違った価値観で評価してくるので、気をつけないと、自分では「超サイコー!」と思っても、減点されることがままあるのです。

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アメリカでのこと

私も毎日の生活で、周囲の人たちでアメリカに慣れていない人たちの英語表現、振る舞いで気になることがないわけではありません。うっかり口に出したくなることもありますが、そこはガマン。自分の考えが正しいという保障はありませんし、相手や状況によって千差万別の現実では、自分の考えを押し付けても功を奏するとは限りません。よっぽど失礼でない限り、私は口を出さないことにしています。

私がアメリカで大学院に入学した際、大きな衝撃を受けたことのひとつに、大学教授がペーペーの私に真摯に意見を求めてきたことが挙げられます。当時は私の英語力は不安定なものでしたし、勉強不足でアメリカに来てまで英語を勉強しないといけなかった私ですから、真面目な質問に取り組むのは骨が折れたものです。

しかし、これが世界中から留学生を呼びこむアメリカの大学教育の魅力なのではないかな、とも思いました。日本ではちょっとここまで対等な人間関係は年上の方とは望みにくいものです。

日本でのこと

私は大学時代、日本の大学教授とやりあったことがございます。当時、私は英語研修から帰国したばかりで新しい世界が開けた興奮に包まれておりました。ところが、何人かの大学教授は、日本の学生が海外の授業でおとなしい理由は、「英語力のせい」だと譲りません。私のいた大学は小さな大学でしたから、私のような変人学生はすぐに顔が割れます。

「じゃあ、授業後に日本語で授業の感想を求めたら、英語力が原因かどうか、はっきりするじゃないですか?」

という私の生意気な提言に触発されたのか、何人かの教授が本当に授業後に、「それでは、感想を」と、学生に尋ね始めました。それまでワサワサと私語があった授業は急に波を打ったように静かになり、誰も手を挙げなかったことに、私はひとり快哉を叫んだことがございます。

世代間の隔絶

これは私個人の考えですが、日本社会の大きな見えない問題点のひとつに世代間の隔絶があると考えています。 26年版自殺対策白書 によると、15歳から39歳までの死因トップが自殺だそうです。これがすべて孤独と疎外感が原因とは思いませんが、年上の人たちが若者に耳を傾けるべきことも多いのではないでしょうか。私は会社の若い人たちから、

「なんかアメリカの美味しいもの、食べに連れて行ってくださいよ!」

と頼まれることがあるのですが、それを大きな歓びとして聞いて、アメリカ人しか行かないような秘境スポットに連れて行くことにしています。私は酒を飲みませんので、私が車を出してドライブをするのですが、それでも若い人たちから頼りにされるということは嬉しいことです。若いころ私を悩ました年上の大人のようになりたくないと思いながら、ハンドルを握っています。

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