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滞在先で誰と付き合う?ふたつのタイプの海外在住者とは

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私は大学院への進学をきっかけに渡米し20年以上アメリカに住んでいますが、海外での生活を普通に感じ、日本から見た場合、特異なことでも変に思わなくなっています。しかし、先日、偶然とある新聞記事をインターネット上で発見し、毎日の生活の中で漠然と感じながらも考えても見なかったことに気づき、膝に手を打ちました。

ふたつのタイプの海外在住者とは?

私は大学院への進学をきっかけに渡米し20年以上アメリカに住んでいますが、海外での生活を普通に感じ、日本から見た場合、特異なことでも変に思わなくなっています。

しかし、先日、偶然とある新聞記事をインターネット上で発見し、毎日の生活の中で漠然と感じながらも考えても見なかったことに気づき、膝に手を打ちました。

zakzak:ナゼ? 日本人と関わらない在日外国人の存在
https://www.zakzak.co.jp/ent/news/190730/enn1907300010-n1.html?ownedref=rensai_not%20set_newsList

記事を書いたのは日本在住のロシア系関西人の方で、要約すると以下のような内容となっています。

  • 日本に住む外国人にはつき合う相手が主に日本人である外国人と、外国人同士で親しくしている外国人の2つのタイプがいる。
  • 後者のタイプの外国人も、来日当初は必死に日本人の友達を作る努力をするが、うまく友達を作ることが出来なかった似たような境遇の他の外国人との輪が広まるようになる。
  • 外国人同士でつるむ外国人は皆「日本人と友達になるのが難しい」と口を揃えて言う。特に言葉の壁が問題で、普通の日本人の日本語は難しい。

この記事の中では、海外在住者にはふたつのタイプが存在するようです。ひとつは現地人と交わるタイプ、もうひとつは同じ海外在住者(外国人)とつるむタイプ。私は日本にいる友人と話していて、度々認識の違いを感じるのですが、海外に住んでいれば「自然と」現地の友人ができると思いこんでいる方が多いかもしれません。

しかし、在米20年にもなる私の経験からいわせていただくと、成人後に渡米してきた方でいわゆる「アメリカ人」の友人が多い方はもしかしたら少ないかもしれないのです。

日本人の場合、渡米する理由は大きく2つ。留学と駐在です。留学の場合は若い年齢で一人で来る場合が多いので、アメリカ人とつるむことも増えるでしょう。ただし駐在の場合は多くの場合、家族と来る場合が多く、その場合は現地社会に踏み込む度合いが浅くなり、現地人に囲まれてというより、同じ日本人同士のコミュニティの中で生活を展開していくことが多いようです。

在米歴20年以上の筆者の場合

このエッセイをきっかけに私の置かれた環境を振り返ってみました。

現在の私

現在の私は友人の9割がいわゆるアメリカ人で、日本人や他の国から来た外国人との付き合いは少なくなりつつあります。それだけアメリカナイズされたともいえましょうが、これはかなり意図的なものであると認めざるを得ません。振り返ってみると、いくつかのきっかけがございました。

大学院留学時代

留学生の少ない学部だったので、アメリカ人とつるまざるを得なかった。それでも寮に帰れば日本人留学生もおり、日本人の友人もいた。当時の英語力ではアメリカ人の学生同士の集まりに入っていくのは少々無理で、アメリカ人のパーティーに違和感なくいるには相当な努力が必要だった。

社会人新米時代

社会人になった当初、全然友人のいない町に引っ越しせざるを得ず、喉から手が出るほど友達が欲しい時期だった。徐々に友達が出始めると日本人、アメリカ人を集めた夕食会、カヤック大会などをしていたのもこの時期だった。しかし、とあることが起きて、一切止めることに。

社会人10年選手時代

この頃になると日本人とつるまなくなり、アメリカ人との付き合いが急速に増えた。原因は色々あるが、日本人の友人たちが結婚ないし帰国し、あまり出歩く機会がなくなったこと。私が集まりの会などをやらなくなったこと。趣味でコメディをやり始めたことが大きいと思う。

海外在住の日本人には変わった人が多い?

ここで説明ですが、読者の方の異論、批判を覚悟で書かせていただくと、海外に滞在している日本人の方にやはりちょっと変わった方は多いかもしれません。私は幾人か奇っ怪な邦人をみてきました。

友人家族のいない外国で生活をしていく上で、金銭面、精神面での不安は増します。ましてや社会人になって数年の間は仕事を覚えるだけで大変ですし、言葉の問題もあります。それゆえに私は社会人になってからの数年の間、積極的に周囲の日本人とアメリカ人の間を取り持つ役をやっていたのですが、これが却って裏目に出ました。

詳しい話は省きますが、日本人の女性の方で金銭面にコントロールが利かない方がおり、私の周囲の友人にも金銭的被害を及ぼしたのは困りました。私の集まりで夕食を食べても飲食代を払わず、何食わぬ顔して財布を出さないのです。

そのたびに私が建て替えるのですが、本人は素知らぬ顔。さらに私のアメリカ人の友人宅に連絡無しで毎日押しかけ、困ったアメリカ人の友人たちも夕食に連れ出し、その支払を私の友人に押し付ける始末。

私は本人に電話をかけ、私に苦情が来ていることを伝えたのですが、本人は一笑するばかり。ついに私は彼女と絶交をしました。そしてその一年後、本人は私の友人に借金をしたまま、亡くなってしまったのです。

他にも宗教の勧誘に熱心な日本人の方がいたりなど、人間関係に微妙な空気が流れるようになったことや、年齢を経て家庭を持つようになった友人たちもおり、私はもう日本人とアメリカ人の仲を取り持つのも止めるようになったのです。

それ以後、アメリカで日本人の方とお会いしても挨拶こそはすれど、連絡先は極力交換しなくなりました。

これらのことを振り返ってみると、物事にはやはり表と裏があることに気付かされます。もしあのまま日本人とつるむ生活をしていたら、私の今のどっぷりとアメリカに浸かった生活は考えられません。

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外国人が二分化する理由

海外に住む人たちが現地人とつるむグループと、外国人同士でつるむグループに二分化される理由に、先の記事でも述べていたように語学力の問題はあるかと思います。

もっと言い換えれば、この二種類の人間は、同じように海外に住む連中であるにも関わらず「合わない」からでもあります。例えば、友達と映画に行きたいと思っても、相手が「え?私英語わからない!」と言えば、そこで計画は二の足を踏んでしまいます。

先日、私の職場に以前働いていた日本人の女性が私にコンタクトを取ってきました。理由はボクシングを始めた私に感想を聞きたいとのこと。私が「運動としてすごくいいよ」というと彼女は同じ系列のジムに友達紹介をして欲しいとのこと。

必要な情報はすべて英語が書かれていますが、彼女は英語が達者なので心配はいりません。メールで送り、近場のジムに行ってみると言っておりました。ところが英語ができない人だと、すべてを説明しなければいけませんし、場合によってはジムに同行を頼まれる場合もあります。

先の記事でも、筆者の方は初対面の外国人コンビニレジ係りから携帯電話の契約を手伝ってくれるよう頼まれたと書かれていますが、私にはよくわかります。

私のような在米期間の長い人間はこういったネットやアパートの契約、銀行口座の開設、車の送迎(人によっては高速道路を運転したくない)、医療関係の説明の手助けなど頼まれやすいのです。

私自身、英語で苦労した人間ですから、その気持もわからないのではないのですが、このご時世、個人情報の取り扱いに非常に厳しい時代でもあり、簡単に他人の生活に足を踏み入れることが歓迎されるご時世でもありません。

また、他人のこういった生活に巻き込まれることはよっぽど親しい信頼関係がないとムリな相談でして、私は米国生活が長くなるに連れ「この間、アメリカに来ました!」というような邦人の方にお会いすると、心のどこかに警戒する気持ちが芽生えるのを否定できなくなってきたのです。

よって、個人が語学の向上とともに、語学を習得しない(できない)グループとの距離が空いていくのは無理もない話なのかもしれません。その際の孤独に耐えられるか。そこに語学力向上の隠れた鍵があると私は思っています。

第3のグループの存在

私は実は、海外に住む外国人に第3のグループがいると推測しています。それはなにか。「ひきこもり」です。おそらく確実な統計調査もないでしょう。

しかし今まで何回か、見聞きしたことはございます。親の仕送り、もしくは自分の置かれた環境(会社から派遣されたなど)で一切、外界との関わりを絶ち、自室で暮らしている外国人です。

実は私は海外に出た際の現地社会に溶け込んでいくプロセスは、ひきこもりの方が社会復帰する際のプロセスと似ているのではないかなと考えています。海外ひきこもりについては、私の中で熟考するまでにいたっておりません。本件執筆については今後に譲りたいと思います。

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