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その偏見は本当に「人種」に対するものなのか?私の人種偏見考察

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日本を離れて16年あまり、たまに日本に帰り親しい友人や家族と過ごしていると時に、「アメリカで生活をしていて人種偏見を感じたことはあるか?」という質問を受けることがあります。非常にsensitiveな質問であり、尋ねる方も重々承知らしく質問者は声のトーンが低くなるのが常ですが、私の答えも、「分からない」という頼りない回答に終始せざるを得ません。今回はなぜ、「分からない」のか、なにが「分からない」のか、私の考えを述べていきたいと思います。

私は長い間アメリカに住んでいますが、正直、今まで強烈な人種偏見を肌で感じたことはございません。自分が日系会社に勤め、中流階級以上が住むデトロイト郊外に住んでいることもあるでしょうが、特に不満なく過ごしてまいりました。ただし深く考えてみると「あれがそうだったのかな?」という体験もあり、ここに挙げていきたいと思います。

初めての人種偏見?体験

初めて人種偏見的な体験をしたのは大学院二年目の時です。大学院のお手伝いとして、学部生の中間テストの試験監督のアルバイトに行きました。数百人は入る大教室でプリントを配布し、テストの注意事項を私が読み上げると後ろの席のほうで、集団で大きく喚く声が聞こえました。ガーガーうるさく、テストの妨げにもなろうかという大声です。

当時の私の英語力では聞き取れず、一緒にアルバイトに来た学部生の女の子を見ると、なぜか顔を赤くし下を向いています。一部の学生は私のことを指差しているようですが、構ってはいられません。なんとかテストを受けさせ解答用紙を回収しました。

学内ではオオゴトに

後日、担当教授から呼び出されました。
なにごとかと思い教授室に向かうと、あの学生たちは私のことをバカにしはやし立てていたことを知りました。

どうも私のルックスが違い、英語の発音も下手なので笑っていたようです。加えて授業の題目が「Non-Western World」で、アジア系の私が試験監督として赴きバカにされたことは教授会でも取り上げられるなど、私が思う以上に大事になっておりました。

なぜ抗議をしなかったのか

教授はなぜ、私がこの件に関して抗議しなかったのか不思議がります。ただし、私の考えは違うところにありました。

私はアメリカに留学してきて自分の存在の小ささや今までの経験の少なさを痛感する毎日です。笑っていた学生はおそらく10代後半、外国語も勉強したこともなければ外国にも行ったことのない田舎の学生です。自分たちの視野が限られていることを気づきもせず毎日を過ごしているはず。私もそういった若い学生でしたから、他人に対して怒る気にもなれなかったのが本音です・・・

当時の拙い私の英語力で正確に私の真意が教授に伝わったかどうかはわかりません。最後に教授は頷くと、お互い握手をして別れました。

そもそも「人種」偏見とは何か

この一件は、私が今まであまり意識することのなかった「人種」というものを大きく意識させる結果になりました。考えてみると、この人種に対する感覚は人によって大きく違うもののようです。

イギリス英語研修でのこと

私は1996年に初めてイギリスで英語研修を受けているのですが、その際、ロシア連邦のサハ共和国から高校生の一団がおりました。

彼らのルックスは太平洋戦争中の日本人のごとくイガグリ坊主なのですが、体格は私達より一回り大きく瞳は抜けるような青空ブルー。「原宿に学童疎開でもしたの?」と私がうっかり質問したくなるくらい面白かったのですが、私の日本の大学から来ている連中の一部には「違う」といって嫌悪している者もおりました。

サウスカロライナ州でのこと

話は飛び、就職して間もない2003年ごろ、私はSouth Carolina州で半年間の研修を受けておりました。友達もおりませんし特にやることもなく、毎週末、村に一軒しかない喫茶店で新聞や本を読んでいたのですが、ある時、小さな子供が「Where are you from?」と唐突に尋ねてきました。

「I am originally from Japan」と答えると、周囲の大人たちが皆、「Yeah, he is Japanese!」と口々に言い始めました。どうも周囲の大人たちは、アジア系がほとんどいないこの村で私が何をしているのか不思議に思っていたようです。

村外れの工場で働いていることなどを話し、今までそっけないと思っていた村の人たちと急に距離が短くなるような感触に襲われました。半年後にはその喫茶店のお客さん達とサヨナラをするのが寂しいぐらいの関係が築き上げられており、自分の視野がまた狭かったことを体験いたしました。

本当に「人種」に対する偏見なのか

現代社会では、教育を通して人種偏見が良くないということは教えられております。ストレートに、「おまえ黄色人種というジャンルに属する日本人だな!だから、おまえなんか嫌いだ!今からお前を人種偏見してやる!」と分かりやすく差別してくれることはまずありません。

ですが、たまにレストランの予約などで電話をかけると、私の英語がまずいのか即座に電話を切られたり、対応をいい加減に放り投げられたりすることはございます。また日常生活でも、距離を詰めにくいアメリカ人がいることも事実です。

ですが、これが「人種偏見」というとまた話は微妙になるというのが私の考えです。

日本にいた時から私はすべての人と仲良くはありませんでした。学校のクラスの中には私と仲の良くない人もおりましたし、気性の合わない人間もおりました。ケンカをしたこともございます。社会人になってからも上司と衝突したことはありますし、すべての出会った人間から愛されたとは到底思いません。正確にすべての他人と均等に距離を詰めるなんて不可能です。

上記の対応の悪い相手もただ単にトイレに行きたくて、私の電話を切ったのかもしれません。私の英語がまずいのでしたらこれは「人種」偏見ではなく、「発音」偏見です。日本に長期滞在したアメリカ人が米国に戻ると、米国のカスタマーサービスの質の悪さに呆れるそうですから、対応のいい加減さは文化的な差かもしれないのです。

あるアメリカ人と距離を縮めることができないとしても、それは私の方に問題があるのかもしれませんし、ただの思い過ごしかもしれません。ほとんど黄色一辺倒の日本と違い、移民の国アメリカでは白黒黄色、クレヨンのごとく全色揃っていますから、自己の体験を判断する際に余計な要素が絡みやすいのです。

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一部の現実は削ぎ落ちてしまう「カテゴリー化」

社会学には「カテゴリー化」という手法がございます。物事の性質を区分する上でのもっとも基本的な分類をし、物事を判断していくことをいうのですが、これは多かれ少なかれ人間がしている営みです。例えば、

「日本人は黒髪で黄色い肌をしている」

と分類したとします。
ですが、実際には外国から来た人で日本に帰化した方もいらっしゃいますし、ハーフの人もいるでしょう。なにをもって「日本人」とするのか、定義が曖昧という側面もございます。昨今の数多いハーフタレントはこの分類にはそぐわないのではないでしょうか。

ただし物事を分類しない限り話はまとまりませんし、金髪茶髪の増えた(?)現代日本人でも、マジョリティはまだこの分類に適合するはずです。つまり、カテゴリー化をする上で、一部の現実は削ぎ落ちてしまうのです。

その正しさを判定できない

くわえて、カテゴリー化をするのは、我々です。私達のできる経験、視点が限られている以上、そのカテゴリー化が正しいという保証はどこにもありません。人間である限り、カテゴリー化せざるを得ず、それが正確とは限らない宿命を背負うのが私達です。

蛙は井戸の中で大海を知らずに過ごしていますが、それは私達自身の姿なのかもしれないのです。私は考えます。もし人種偏見を無くしたいのであれば、「人種」に相当する言葉を世界中の言語から削除してしまうしか、方法はないのではないでしょうか。

私は高校時代、夏目漱石の随筆「 硝子戸の中 」を読んだことがございます。

今までの経験というものは、広いようで、その実はなはだ狭い。ある社会の一部分で、何度となく繰り返された経験を、他の一部分へ持って行くと、まるで通用しない事が多い。前後の関係とか四囲の状況とか云ったところで、千差万別なのだから、その応用の区域が限られているばかりか、その実千差万別に思慮を廻めぐらさなければ役に立たなくなる。しかもそれを廻らす時間も、材料も充分給与されていない場合が多い。
それで私はともすると事実あるのだか、またないのだか解らない、極めてあやふやな自分の直覚というものを主位に置いて、他を判断したくなる。そうして私の直覚がはたして当ったか当らないか、要するに客観的事実によって、それを確かめる機会をもたない事が多い。そこにまた私の疑いが始終靄のようにかかって、私の心を苦しめている。

夏目漱石「硝子戸の中」

イギリスに留学経験のある明治時代の英文学者、夏目漱石は自分の視点が正しいかどうか不安で、不愉快の渦巻いた自分の日常を吐露しています。彼は留学経験があったからこそ、この一節が書けたのかもしれません。

留学の恩恵

以上、私が人種偏見に関して質問を受けた際、「分からない」と答える理由です。単純に一口では言い表せない事情があり、今回は文章に起こさせていただきました。

かの漱石は随筆の最後で春の訪れに気付き、自分の過去の文章を嘲笑いながら、他人から見たかのような視点で自分自身に微笑をしています。実は私はこの箇所を実感として理解しておりません。

漱石は晩年、「則天去私」の境地に至ったと言われております。もし私が漱石と同じように成長できるのなら、その則天去私の心境に到達した時、「分からない」ではない、違う答えを人種偏見に対して私は回答できるはずです。

高校時代の私は、この随筆に内包された深遠なメッセージを解しませんでした。アメリカ留学をし、40歳になった現在、やっと私は道半ばながらにして漱石の心境に近づいたのかもしれません。これも私にとっての留学の恩恵のひとつと考えています。

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