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イタリア芸術界の異端児「カラヴァッジォ」について知っておきたい7つのこと
皆さまは「カラヴァッジォ」をご存知ですか?なんとなく画家だということは知っているけれど…という人が多いのではないでしょうか?ここでは、そんなカラヴァッジォについて、イタリアに行くならぜひ知っておきたい7つのことをご紹介します。
生まれたのは日本でいう「戦国時代」
1571年生まれのカラヴァッジォ。この年はちょうど織田信長が比叡山延暦寺の焼き討ちを行った年です。イタリアといえばミケランジェロやレオナルド・ダ・ヴィンチが生きた「ルネサンス時代」が有名ですが、彼はそれよりももう少し後の時代、バロック時代の巨匠なのです。
カラヴァッジォは地名なり
日本では「カラヴァッジォ」と呼ばれていますが、これは出身地であるミラノ近郊の街カラヴァッジォから付けられたもの。本名は「ミケランジェロ メリージ ダ カラヴァジォ(Michelangelo merisi da caravaggio)と言うため、どちらかというと「ミケランジェロ」が正しい名前なのです。
実は超短命だった
カラヴァッジョはミケランジェロの亡くなった7年後に生まれ、38歳の若さでこの世を去りました。ということで現存する作品数も少なく、その数はわずか60点程度と言われています。
イタリア紙幣の顔だった
実は2002年にリラ紙幣がユーロに切り替わるまで、カラヴァッジォは10万リラ紙幣の顔。イタリア人なら子供から大人まで、だれでも顔を見れば一発でだれか当てられる、超有名な歴史上の人物でした。
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下絵やデッサンが1枚も残っていない
一般に画家が絵を描く時は、何枚もデッサンをしてから本番に臨みます。しかし、カラヴァッジォにおいては、このデッサンや下絵に当たるものが1枚もないんです。 「いきなり本番をしていたから」という説が有力。作品から醸し出される生々しい雰囲気は、そのような手法から来ているのかもしれません。
実は殺人犯だった
カラヴァッジォは実は34歳の時、ローマで殺人事件を起こしてしまいます。当時のイタリアは都市国家に分かれており、ローマを離れれば、1からやり直してオッケー。ということで、彼はその後ナポリへと向かって難を逃れます。
ナイト(騎士)としての一面
殺人を犯してしまうほど、気性が荒いと言われていたカラヴァッジォは、画家でありながら、なんと「騎士」でもありました。騎士になりたくて5枚の絵を描いたというのだからその想いは相当なもの。これはイタリア芸術界の中でもかなりの異端児と言えるでしょう。
最後に
カラヴァッジォの絵はその生々しさゆえ、作品によっては少しグロテスク…なのですが、光と影が自在に操られた作品の数々は思わず、吸い込まれてしまうものがあります。作品はイタリア各地に点在していますのでぜひ機会があったら見に行ってみてはいかがでしょうか?
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