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フランスに行くなら知っておきたい!ルーヴル美術館の歴史
フランスの観光地として、とても人気がある「ルーヴル美術館」ですが、ルーヴル美術館の建物そのものに、フランスの大事な歴史が詰まっています。
ルーヴル美術館はまだ改築中の場所もあり、今もまるで生きているがごとく建物が変化しているのです。あまりにもたくさんの歴史があるので、今回は大事な歴史だけをご紹介します。
ルーヴル美術館の建物を最初に作ったのはフィリップ2世
ルーヴル美術館ができたのは12世紀。当時のフランスの王フィリップ2世が戦争のための砦して作った建物でした。その後、14世紀にはシャルル5世がルネッサンス様式のシャトー(城館)に作り変え、16世紀のフランソワ1世の頃から、王様がこの建物に住みながら建物を増改築していきました。その頃は美術館ではなく王の邸宅でした。
17〜18世紀のルイ14世の時代に、莫大な資金を元に大改築を行い、自分が所蔵していた美術品を私的な美術館としてルーヴル宮殿内に美術品を並べたことが今の美術館につながりました。
その後、ルイ14世はヴェルサイユ宮殿に引っ越したために、ルーヴル宮殿は王の美術の保管場所になりました。
焼失したテュイルリーの宮殿
1563年にカトリーヌ・ ド・ メディシスの命令で、100年以上かけて作られたルーヴル美術館の敷地に続くテュイルリーの宮殿がありましたが、1871年にパリ内の暴動の最中に兵士の放火により焼失しました。そのときはルーヴル美術館の建物の一部も焼失しました。
何度かテュイルリーの宮殿の再建築が行われましたが、修復が困難だったためすべてを取り壊し、今は庭園だけが残っています。
ナポレオンの登場により美術品が増えたけれど?
18世紀末から19世紀のはじめごろ、ナポレオン1世は教会との折り合いが悪く、再婚式を教会ですることができなかったためにルーヴル美術館内の部屋で再婚式を行いました。
また、ナポレオンは宮殿内の美術館を自分の権力の見世物に使いました。ナポレオンの時代だけ、ルーヴル美術館の名前はナポレオン美術館と改名されたほどです。
ナポレオンの時代は戦争ばかりしていた時代なので、ナポレオンが戦争に勝利すると負けた国から美術品を強奪してくる専門の係の人達がいました。ナポレオンが戦争に負けるようになると、今度は勝った国に美術品を返却しなければならなくなり、返却した作品もたくさんありました。
フランス革命がもたらした変化
18世紀に起こったフランス革命のあたりから、王様がルーヴル宮殿に所有している私的美術館を国民にも見せるべきだという非難が殺到し、フランス革命前後王様の私的な美術館が一般市民に公開されました。その頃の美術館は、まったく整備されず適当に美術品があちこちに部屋に詰め込まれていました。
また、19世紀のはじめごろは、国内の暴動のためにルーブル美術館の建物や周辺が荒れ放題でした。1889年のパリ博覧会を目の前に、内部の整備は時間的に無理でも外側だけは海外のお客様に綺麗なところを見せなければならないと、ルーヴル美術館の周辺の整備が行われました。
万博まで時間がなかったため、作業員は昼夜交代制で休みなく、ルーヴル美術館の外側だけを必死に修復しました。建物の材料を馬で運んでいたために、音がうるさく夜に寝られないと市民から苦情があり、日別に馬の通る道を変更して市民が寝られる日を交代する方式が取られました。
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第二次世界大戦時には美術品を隠していた?
第二次世界大戦のとき、アドルフ・ヒトラーが率いるナチス・ドイツから美術品を強奪させないために、それぞれ別々の城や建物にルーヴル美術館の貴重品を運んで隠しましたが、結局ナチス・ドイツはあまりルーヴルの美術品を強奪しませんでした。
戦争が終ると共にあちこちに散らばった作品はルーヴル美術館に戻ってきました。
モナリザの盗難事件
今も世界的に有名な作品である、イタリアの美術家レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた絵画「モナリザ」の絵は、フランソワ1世が購入しました。一度、1911年に盗まれまる事件が発生しました。結局モナリザは戻ってきましたが、その事件があってから警察がルーヴル美術館を管理するようになり、しばらくは警察や政府がルーヴル美術館に駐在していました。
ミッテラン大統領の大改革「大ルーヴル計画 (Grand Louvre)」によって生まれた「ルーヴル・ピラミッド」
1980年代、ミッテラン大統領の政権のとき「大ルーヴル計画 (Grand Louvre)」という文化政策が実施されることになり、ルーブル美術館は建物の整備や作品の整備、料金所、お手洗い、休憩所などの設置を含め、本格的な美術館に生まれ変わりました。
また、この計画の中で「ルーヴル・ピラミッド」と呼ばれるピラミッドの建物が、中国系アメリカ人の建築家イオ・ミン・ペイ氏のデザインにより中庭であるナポレオン広場に建設されました。当時は、ルーヴル美術館にはピラミッド型の建物は合わないと批判がたくさんありましたが、今ではルーヴル美術館になくてはならない建物になりました。
ルーヴル・ピラミッドは、イオ・ミン・ペイ氏がルーブル美術館のデザインを考えていた所、自分のポケットの中に、たまたまピラミッドの小物が入っていたことがピラミッドのデザインのアイディアになったそうです。
余談ですが、ピラミッドの建築と共に、建物周辺を捜査することをしたことが今までなかったので、工事と一緒にルーヴル美術館の周辺を調査した所、貴重な出土品がたくさん出てきたそうです。
ルーヴル美術館の建物は今も建築中のものがある
ルーヴル美術館は今も改築工事が続いています。現在は別館をアラブの豪富によってアブダビに建築中です。完成後はアラブにもルーブル美術館の作品が行き来することになります。
まとめ
ルーヴル美術館の建物をよく見ると、ルーヴルの建物の持ち主の好みによって建て替えられたり、それぞれの時代に流行した建物の様式で増改築されたために、専門家が見ないとルーヴル美術館の建物の歴史的な構造が複雑すぎて分からないそうです。これほどまでに長い歴史を刻んでいる美術館なのに、今のように美術館としてきちんと整備されたのは、約20年前のことです。
ぜひフランス留学の際には、ルーヴル美術館に行って見てください。たくさんの人達によって変化していった美術館は、建物だけでも圧倒される歴史が詰まってますよ。
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