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ゴールドコーストNo.1レストランのマネージャーになるまでの苦悩と経緯

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名前:Ikue さん(写真右)
出身地:岩手出身
生年月日:1977年生まれ
高校卒業後、カリフォルニア大学の幼児科に合格。ただ金銭的な面で行くことができず、日本のセンター試験2次試験で地元の短大に入り、幼児教育科卒業後、3年間保育士をする。そして、2000年にワーキングホリデーでオーストラリアへ。色々な職歴を経て2014年度クイーンズランド州の優秀レストラン賞を受賞している、紅花のマネージャーに。他にはないマネージメントスタイルで国際色豊かな職場で指揮をとり、NO.1を維持し続けている。

ゴールドコーストには賞を受賞している有名レストランが多数存在する。その競争率の高い中で生き残って行くことはとても大変なことで、多くのレストランが日々試行錯誤して努力をし続けている。

その中でも、群を抜いて注目を集めているのが、鉄板焼きレストランの「 紅花 」である。実際にお店に行くと鉄板焼きのパフォーマンスやお客さんとシェフやスタッフが全員で唄を歌う姿があった。そしてマネージャーのIkueさん自身も和太鼓のパフォーマンスをして大盛り上がり。

今回、紅花のマネージャーとして活躍するIkueさんにインタビューしてきた。Ikiの愛称でスタッフからも慕われているIkueさん。Ikueさんのオーストラリアンライフと紅花のスーパーマネージメントについて迫りたいと思う。

オーストラリアに来たきっかけ

ーーオーストラリア滞在が長いとお聞きしましたが、オーストラリアに来たきっかけは一体何ですか?

まず、幼い頃に「フルハウス」というアメリカのドラマを見て、金髪の子供に一目ぼれ。アメリカ(小さい頃、私の頭の中の世界地図は、日本とアメリカだけでした。笑)で金髪の子供の面倒を見る保育士になりたいと思いました。そして高校卒業後、カリフォルニア大学から幼児教育科の入学合格の通知が来たのですが、金銭的な問題でアメリカには行くことができず、仕方なく地元の短大で幼児教育科を専攻しました。短大卒業後は、3年間日本で保育士として働きました。

でも、その後やっぱり海外への憧れを諦めきれず、ワーキングホリデー制度を利用して海外に出る決断をしました。当時、カナダのワーキングホリデーは審査が厳しかったのですが、オーストラリアは25歳までワーキングホリデーが使え、比較的お金があれば簡単に申請することができました。そして、ニュージーランドは30歳までワーキングホリデーが使えたので先にオーストラリアに行き、その後ニュージーランドに行こうと考えてオーストラリアに行く決断をしました。

ーーオーストラリアに行くにあたって何か具体的な目標や、これだけはやろうといった目的はありましたか?

特にはなかったですが、保育士免許を持っていたのでオーストラリアで保育士をやろうと考えていました。ただオーストラリアに来るまで気づかなかったのですが、日本の免許がオーストラリアで使えないと判明したので結局オーストラリアでは保育士として働くことはできませんでした。(笑)ですので、英語をマスターすることを目標にしてオーストラリア滞在中を過ごしていました。英語は1ヶ月で耳が慣れ、3ヶ月で喋れるようになるという迷信を心から信じての渡航でした。(笑)

オーストラリア生活で苦労したこと

ーー海外生活で苦労したエピソードがあれば教えてください。

オーストラリアに来てから英語をたくさん勉強して、英語しか聞こえない環境にいて、オーストラリア人の友達もたくさんできて会話も理解もできるようになったのに、英語で話していて話を盛り上げる事ができなかったのが辛かったです。

私は話すことが好きなので、日本ではみんなを笑わせることが出来たのですが、オーストラリアではそれが全然できませんでした。語学学校に通い、英語環境でバイトをし、オーストラリア人と住んで、オーストラリア人の友達もいたのに英語が思うように伸びず、悔しくて泣いてしまったこともありました。

ーーどうやってその苦労を克服しましたか?

泣いてしまったある日の翌朝、目が覚めたら何だか無性に腹が立って来たんです。(笑)「こっちはわざわざ母国語じゃない英語で話しているのに、何でそっちは分かってくれないんだ!」って。それで、むしろ私の英語が分からない相手が悪いって思うようになったんです。(笑)

その日以来、面白いぐらいに英語力が伸びていきました。今ではオーストラリア人を笑わせることができ、壁を乗り越えることができました。きっと、英語環境の中にいて努力しても、「完璧」にはなれないのだと自分の中で理解し、いい意味で諦めがついたんだと思います。

ーーその辛い時期に、帰国しようとは思いませんでしたか?

日本に帰りたいとは全く思わなかったです。日本では環境が合わなかったけど、オーストラリアの環境が自分のスタイルがフィットしていて、とても過ごしやすかったんです。ここが自分のいるべき居場所だと感じていました。

いつも、「いつ帰ってくるの?」を連発していた母親がオーストラリアに遊びに来た事がありました。その時、私が生き生きと働いている姿を見て、母親もオーストラリアに残った方が良いと感じたそうです。他の人から見てもそれだけ私はオーストラリアという環境に馴染んでいたんだと思います。

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オーストラリアに来て良かったこと

ーーオーストラリアに来て良かったと思うことは何ですか?

日本では自分の意見を主張するべきではなく、みんなと同じじゃないとダメという暗黙のルールがあって、日本の環境が合わなかったです。

学生時代はよく喋る子でした。なので、授業中とかおしゃべりが多く、先生からよく注意されていました。質問するのは授業中じゃなく、授業の後に職員室でするようにと怒られたことも何度もありましたし、親が先生から結構呼び出しされていた事実もあり、ダメダメでした。(笑)

でもオーストラリアに来ると自分を主張するのが当たり前で、周りの目線を気にせず本当の自分を出すことができ、人と違うことが当たり前なので、ものすごい開放感を感じました。そこが私にとって、オーストラリアに来て良かったと感じる第一の理由です。

ゴールドコーストNo.1レストラン「紅花」との出会い

ーー紅花でマネージャーをされていますが、そもそも紅花との出会いはどういったものだったのでしょうか?

バーで働いた後、ホテルのウェイトレスをやりました。その後、コートヤードマリオットホテルのバーのスーパーバイザーをやっていました。その時に、たまたまアジアパシフィックエリアで指揮をとっている方がお忍びで視察に来ていたんです。その方の目にとまり、韓国で働いてみないかとスカウトをされました。

ちょうどそのとき、韓国JWマリオットの日本食レストランがリフォームを終えて再オープンするということで、3週間ほどTask Forceという形でお手伝いをしに行くことになりました。アジアパシフィックエリアで指揮をしている方に韓国で再会し、「IKI(Ikueさんのニックネーム)は将来、紅花でマネージャーになればいいよ」と言われました。その時は紅花って何だろう?ぐらいにしか思っていませんでした。

そして3週間のお手伝いが終わり、オーストラリアのコートヤードマリオットホテルに戻って約2年後、マリオットサーファーズパラダイスから、仕事のオファーが来たので、これも何かの縁だと思い、そちらのホテルに移りました。新しい職場のバーは、なんだかかしこまった雰囲気で、なんとなく自分に合わないような気がしていました。それを上司に言うと「紅花に行きなよ!」と言われ「あっ、あの時の紅花か!私はそこのマネージャーにぴったりらしいですよ。」と言うと「何言ってんの?」と言われました。(笑)

結局紅花に移ることになり、そこでスーパーバイザーをしました。スーパーバイザーをやっている時に、マネージャーをやらないかとオファーが来たんですが、最初は自信がなく断りました。

すると別の人がマネージャーになったのですが、そのマネージャーの方針が今までのものとは全く違い、紅花が崩れて行くような感じで、悩んだ事が多くありました。その結果、「紅花を救えるのは私しかいない!」という勝手な思い込みで、「次は誰がマネージャーやる?」というシチュエーションになった時には、「私がやる」と、張り切って手を挙げていました。(笑)こうして私は本当にマネージャーになったわけです。

(↑紅花の店内)

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